「長浜曳山まつり」の始まり

秀吉の治世以降に当地の領主となった彦根藩主井伊氏は、長浜の「まち」を朱印地として容認、町衆による自治を認めることで藩の安寧を図ろうとした。長浜の町は江北全域を商圏に収める商業の一大集積地として発展していく。城下町の他に、宿場町・港町としての姿も合わせ持ち、元禄8年(1695)には、町内に93の業種がある多彩な商業都市として繁栄していく。
また、秀吉を神として崇める長浜の町衆は、秀吉の長男誕生を祝って始められた「長浜曳山まつり」を、江戸時代も町衆気質の拠り所として継続して執り行なった。巨大な舞台付きの曳山を造営して曳きまわし、社参道中で子どもに歌舞伎を演じさせるという、最先端の演出を凝らしたイキな「まつり」を創り上げていく。