「浜ブランド」の確立

 藤岡和泉をして、次々に他の都市には見られない、舞台付きの仏壇型の曳山を造らせた背景には、秀吉への信仰と共に、「浜ブランド」繊維業の隆盛による「まち」の経済力があった。長浜の「まち」は江戸幕府から年貢免除の朱印地として認められ、自由な経済活動があったが、それを背景に、市街地から少し離れた郊外で盛んな養蚕と、伊吹山から流れる地下水、それに琵琶湖の軟水を利用して、上質な絹製品を作り上げる産業が丹後から移入された。
「浜糸」・「浜縮緬」・「浜天鵞絨」、それに麻製品の「浜蚊帳」も合わせて、「浜」が接頭する繊維産業が、舞台付き仏壇型の曳山と同時に生まれたのである。この繊維産業の発展によって、長浜の経済はピークを迎え、曳山を建造する力を得ることになる。