羽柴秀吉と長浜城下町

滋賀県長浜の「まち」は、天正2年(1574)から羽柴(後の豊臣)秀吉によって建造された。姉川合戦以降の信長との戦いで荒廃した江北(北近江)の地から、各地に分散していた商人・職人を城下町に集め、コンパクトな近世城下町を長浜の地に仕立てあげた。今までのような戦いのための城とは違い、商業と産業発展の基盤を作るための城を意識したものであり、秀吉にとっても初の試みであった。賤ヶ岳合戦においても、町衆は秀吉の求めに応じ、秀吉に感謝し神のごとく崇めるようになる。
この現存する秀吉による町割のなかで、長浜の歴史は動いていく。長浜城下の52ヵ町は税を免除され、それによって近隣から人が集まり商いを営むようになる。この無税地は、後に天下人になった秀吉の朱印状によって認められ、江戸時代は朱印地と呼ばれた。さらに、秀吉がこの地で造った城下町プランは、秀吉が天下人になったことで、全国の主要都市に広まっていった。