明智光秀の生涯⑥ 光秀と本能寺の変(上)その背景に迫る

光秀と本能寺の変(上)その背景に迫る 【明智光秀の生涯】6 戦国武将シリーズ5-6 |
天正8年(1580)頃の信長による光秀評価は満点であった。しかし、天正10年に至ると、それまで光秀が土佐長宗我部氏と担って来た四国政策が、織田政権内で白紙にされ、讃岐の三好氏と連携した秀吉の政策が主流になる。その結果、土佐長宗我部氏は信長軍によって追討されることになる。政権内での光秀をめぐる暗雲が背景にあり、信長が裸同前で京にいた偶然を狙って起きたのが、本能寺の変だった。最新の研究を基に、変の本質に迫る。 |