賤ヶ岳合戦-秀吉・秀長が駆け抜けた戦場-7 大岩山城の陥落と中川清秀

大岩山城の陥落と中川清秀
戦国合戦シリーズ3-7
天正11年4月20日の朝、柴田勝家方の佐久間盛政は、羽柴秀方の中川清秀が守備する大岩山城を奇襲した。清秀は奮戦したが討死する。しかし、これを契機に秀吉は美濃から大返しを敢行、佐久間軍を急襲し翌日の合戦勝利へと進んでいく。清秀は当地で討死するものの、中川家は豊後岡主として幕末まで存続する。賤ヶ岳合戦全体における大岩山城攻防戦、さらには中川家にとっての大岩山の戦いの意味を考える。