戦国武将シリーズ

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豊臣秀長の生涯 北近江に残った秀長文書~木之本町黒田自治会文書~新着!!

豊臣秀長の生涯 北近江に残った秀長文書~木之本町黒田自治会文書~ 長浜市木之本町黒田の自治会文書には、3通の秀長文書が伝来する。中世文書が12通の中での比率は非常に高い。さらに、全国的に見ても秀長が出した文書が、この黒田 […]

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豊臣秀長の生涯(概説) 戦国武将シリーズ新着!!

豊臣秀長の生涯(概説)1 豊臣秀長の弟・秀長は、但馬攻め・賤ヶ岳合戦・四国攻め・紀州攻め・九州攻めなどで、兄秀吉から一軍を任され大将として臨んだ。また、大和郡山の城と城下町を建造したことでも知られる。その役割は秀吉の補佐 […]

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豊臣秀吉の前半生(出生から小牧長久手合戦まで)を追う-17 小牧長久手合戦

小牧長久手合戦豊臣秀吉の前半生を追う-17 秀吉が織田信雄・徳川家康と戦った小牧長久手合戦。その戦跡は、尾張国から美濃国から伊勢国へ広がる。犬山城の秀吉、小牧城の家康の対峙から、長久手での秀吉軍の惨敗などを地図や屏風絵で […]

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豊臣秀吉の前半生を追う16 大坂城の築城

大坂城の築城戦国武将シリーズ6-16 賤ヶ岳合戦後の天正11年(1583)9月から始まった大坂城の築城は、全国政権を目指した天下人・秀吉の城であった。築城過程を示す古文書を読み解きながら、その規模や構造を考える。秀吉によ […]

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豊臣秀吉の前半生を追う15 秀吉の中国大返し

秀吉の中国大返し戦国武将シリーズ6-15 備中高松城攻めの最中、秀吉は天正10年(1582)6月3日の晩に、前日早朝に起きた織田信長の死を知る。そこから、明智光秀と戦う山崎の戦場までは200キロ余り。この間を疾風のごとく […]

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豊臣秀吉の前半生を追う14 羽柴秀勝と長浜領

羽柴秀勝と長浜領戦国武将シリーズ6-14 天正9年から秀吉は北近江の支配権の一部を、信長5男で養子となっていた秀勝に委譲していったと見られる。これは、単なる子どもがいない秀吉の跡継ぎが出来たという問題ではなく、織田家と羽 […]

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豊臣秀吉の前半生を追う13 秀吉の中国攻め(下)鳥取城・備中高松城

秀吉の中国攻め(下)鳥取城・備中高松城戦国武将シリーズ6-13 秀吉は天正8年(1580)に播磨を制圧、因幡国鳥取城攻めに向かう。その戦いは三木城と同じく兵糧攻めであった。織田信長黒印状から、鳥取の「飢え殺し」の実情を追 […]

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豊臣秀吉の前半生を追う12 秀吉の中国攻め(中)播磨攻め(三木城・有岡城)

秀吉の中国攻め(中)播磨攻め(三木城・有岡城)戦国武将シリーズ6-12 天正6年(1578)になって、それまで信長方に帰参していた三木城の別所長治が離反する。秀吉は三木城の周りに付城を構築して「干殺し」を敢行するが、城内 […]

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豊臣秀吉の前半生を追う11 秀吉の中国攻め(上)播磨攻め(上月城・円教寺)

秀吉の中国攻め(上)播磨攻め(上月城・円教寺)戦国武将シリーズ6-11 天正5年(1577)から、長浜城主だった羽柴秀吉は、信長の命によって毛利氏に従う勢力が多かった播磨国に侵攻する。最初は、西播磨の上月城を攻略し、尼子 […]

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豊臣秀吉の前半生を追う10 長浜での秀吉家族の暮らし

長浜での秀吉家族の暮らし戦国武将シリーズ6-10 秀吉が城主だった頃の長浜城には、秀吉の家族や家臣など、どのような人々が生活していたか、竹生島奉加帳などを頼りに紹介する。そこには、秀吉夫人の「ねね」、母の「なか」や侍女の […]

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