豊臣秀吉の前半生を追う16 大坂城の築城
大坂城の築城戦国武将シリーズ6-16 賤ヶ岳合戦後の天正11年(1583)9月から始まった大坂城の築城は、全国政権を目指した天下人・秀吉の城であった。築城過程を示す古文書を読み解きながら、その規模や構造を考える。秀吉によ […]
豊臣秀吉の前半生を追う15 秀吉の中国大返し
秀吉の中国大返し戦国武将シリーズ6-15 備中高松城攻めの最中、秀吉は天正10年(1582)6月3日の晩に、前日早朝に起きた織田信長の死を知る。そこから、明智光秀と戦う山崎の戦場までは200キロ余り。この間を疾風のごとく […]
豊臣秀吉の前半生を追う14 羽柴秀勝と長浜領
羽柴秀勝と長浜領戦国武将シリーズ6-14 天正9年から秀吉は北近江の支配権の一部を、信長5男で養子となっていた秀勝に委譲していったと見られる。これは、単なる子どもがいない秀吉の跡継ぎが出来たという問題ではなく、織田家と羽 […]
豊臣秀吉の前半生を追う13 秀吉の中国攻め(下)鳥取城・備中高松城
秀吉の中国攻め(下)鳥取城・備中高松城戦国武将シリーズ6-13 秀吉は天正8年(1580)に播磨を制圧、因幡国鳥取城攻めに向かう。その戦いは三木城と同じく兵糧攻めであった。織田信長黒印状から、鳥取の「飢え殺し」の実情を追 […]
豊臣秀吉の前半生を追う12 秀吉の中国攻め(中)播磨攻め(三木城・有岡城)
秀吉の中国攻め(中)播磨攻め(三木城・有岡城)戦国武将シリーズ6-12 天正6年(1578)になって、それまで信長方に帰参していた三木城の別所長治が離反する。秀吉は三木城の周りに付城を構築して「干殺し」を敢行するが、城内 […]
豊臣秀吉の前半生を追う11 秀吉の中国攻め(上)播磨攻め(上月城・円教寺)
秀吉の中国攻め(上)播磨攻め(上月城・円教寺)戦国武将シリーズ6-11 天正5年(1577)から、長浜城主だった羽柴秀吉は、信長の命によって毛利氏に従う勢力が多かった播磨国に侵攻する。最初は、西播磨の上月城を攻略し、尼子 […]
豊臣秀吉の前半生を追う10 長浜での秀吉家族の暮らし
長浜での秀吉家族の暮らし戦国武将シリーズ6-10 秀吉が城主だった頃の長浜城には、秀吉の家族や家臣など、どのような人々が生活していたか、竹生島奉加帳などを頼りに紹介する。そこには、秀吉夫人の「ねね」、母の「なか」や侍女の […]
豊臣秀吉の前半生を追う9 長浜城主時代の秀吉に子どもは生まれたか
長浜城主時代の秀吉に子どもは生まれたか戦国武将シリーズ6-9 長浜城主時代の秀吉に、実子が生まれたという伝説がある。その祝儀により、長浜曳山祭が始められたという話も伝わる。秀吉の子どもについては、妙法寺に秀勝廟という墓が […]
豊臣秀吉の前半生を追う8 地名から見た長浜城下町
地名から見た長浜城下町戦国武将シリーズ6-8 長浜城下町は戦時中に空襲にあわなかったので、秀吉造成当時からの変わらぬ町割りが今でも残る。そこに付けられた町名は、呉服町など職種を表わすもの、伊部町など小谷から移転町を示すも […]
豊臣秀吉の前半生を追う7 年貢の話〜朱印地から見る、太閤検地と取り立て方と制度〜年貢の歴史から解説
年貢の話〜朱印地から見る、太閤検地と取り立て方と制度〜年貢の歴史から解説戦国武将シリーズ6-7 秀吉が長浜に与えた朱印地とは、秀吉の朱印状によって認められた年貢免除地のこと。そもそも、太閤検地によって、全国の土地はどのよ […]