長浜の秀吉遺産
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長浜城天守台と国守神社

秀吉時代の長浜城に天守があったことは、天正13年(1585)1月13日の秀吉朱印状から明らかである。江戸時代の長浜町絵図によれば、天守台の大きさは東西12間・南北10間の規模であった。現在、天守跡には昭和46年(1971)に市内の平井繁治郎氏によって寄贈・建立された豊臣秀吉の銅像が立つ。衣冠束帯の関白の姿をして伏見城の方向を見ているという。天守台の東に鎮座する国守神社は、江戸時代から稲荷神社と呼ばれてきた。近代の社殿大破にともなう篤志金募集趣意書によると、江戸時代以来、長浜町三年寄によって守護されて来たという。近くに長浜城の人柱として知られる「おかねさん」の碑がある。

所有:長浜市
(国守神社は公園町中島家管理)