長浜八幡宮お旅所前南の駐車場は、敷地が斜めに区切られている。ここは、長浜城の大手門の跡地で、この斜めの線は枡形門が……
秀吉時代の長浜城に天守があったことは、天正13年(1585)1月13日の秀吉朱印状から明らかである。江戸時代の長浜……
昭和14年(1939)の夏、旱魃の際に、湖中から発見された井戸跡である。厚さ3㎝程の木製の井戸枠が確認されたという……
宮町に所在する町屋で、間口3間半、奥行6間で、長浜の町屋としては標準的な1列3間取りの構造をもっている。部材は古様……
長浜南伊部町(八軒町、はちけんまち)の蠟燭屋で、家屋は明治5年(1872)の大火で罹災した後に建てられたと伝える。……
下船町から慶運館に行く道筋にある船板塀。琵琶湖の船の廃材を塀にしたものとされ、細長い部材に鎹(かすがい)の跡が残り……
東西御堂前町と十軒町の米川に架設されていた旧橋で、現在は浜湖月玄関前に移設されている。今架かる「針屋橋」は、平成元……
千代女は江戸中期の加賀国松任の俳人として著名だが、やはり俳人として名が知れていた大通寺5代目住職である横超院との俳……
長浜小学校の前身である「小学校」は、明治4年(1871)9月8日に西本町の下村藤右衛門宅を本校とし、5つの元寺子屋……
慶雲館は、明治20 年(1887 )1月に行われた明治天皇の京都行幸に際し、帰路における長浜での休憩所(行在所)と……
第百三十銀行長浜支店として、明治33年(1900)に建造された。木造2階建、伝統的な土蔵造を基調として,軒蛇腹,上……